こだまさんのこと

遠き山に日は落ちて、みたいにシンプルな一文に、ぐっと胸を締め付けられるような気持ちになることがある。簡単に「山」としか書かれていないからこそ、自分の記憶の中にある山や夕焼け、様々な思い出を含んだイメージをそこに投影できるのだろう。想像の余地があり、読む人それぞれの解釈で、その世界が自由な広がりを持つ。文章という表現方法の一つの良さだと思う。たとえば俳句なんかもその顕著な例で、ツイッターもそういうとこありますよね〜って感じで始めたいと思って書きだしたけど失敗した。知的な装いに、失敗しました。

小さな会社の人間関係に疲れ果て、脱サラして喫茶店を始めてしばらくした頃、ヒマを持て余してツイッターをやるようになった。人との繋がりや環境を持続させることが苦手で、その場限りの表層的なコミュニケーションだけが上手な自分にとって、一人でやれてお客さんとも立ち入った話をせずに済む喫茶店ツイッターは向いているように思えて、特にツイッターは、140字の中で誰でも何でも好き勝手に言っていい自由さが気に入り、仕事そっちのけでのめり込んだ。

数あるアカウントの中でも、こだまさんは憧れの存在だった。ツイートやブログの飾らない文に丹念に込められた(時に苦い)ユーモアや、その反面で(時にどうしようもない)物事や人々に向ける優しい眼差しに惹かれたし、ひとつの出来事を簡潔に、面白くまとめる力をすごいと思った。そして今もそうだが、何よりもご本人の謙虚な姿勢を美しいと感じた。フォローしてふぁぼりまくっていたら、一度ふぁぼり返してもらったことがあって、そのことが長い間僕のツイッターにおける宝物の一つだった。

今のアカウントでフォローされた時には、嬉しさはもちろんのこと(顎が外れるかと思った。嬉しくて)、でもそれ以上に不思議な気持ちがしたものだった。だじゃれと下ネタしか言わないこんなアカウントを、なぜ…?誤フォローしたけど、後に退けなくなった…?色んなことを考えたけど、こだまさんは頼まれると断れないヤリマン体質らしいので、僕のふぁぼやリツイートに「負けた」のだろうという結論に今はなっている。あと、おれのツイッターもう上がりだな、と思った。いや、やめられないんですけど。あともうふぁぼじゃなくていいねですね。いいね!と言えば奇しくもこだまさんが発した初めての言葉がそうだったらしい。予言でしょうか。ツイッターの申し子か。

ブログや雑誌の記事、同人誌を読む限り、こだまさんは生きているのが不思議なくらい大変な奇病を患っている。身体の中で骨がずれたり曲がったり、入院時の闘病記も、事実だけ取り出せば凄惨な境遇に陥っている。大げさでなく死と隣り合わせの人生だ。それなのに、あまり悲壮感がないところも素敵だなと思う。『ここは、おしまいの地』としてクイック・ジャパンの記事で描かれた郷里の町での暮らしや、仕事上の挫折経験など、死にたくなることは山ほどありそうなのに。実際、死にたいという言葉もよく使っておられるような気もするのに。それはなぜなんだろう。人や世の中に最初からあまり期待してないからなのか。逆に実は底抜けに楽天的な人だったりするのか。死ぬほど落ち込んでも、あまりそう見えないだけなのか。そう見せることを潔しとしないためだろうか。きっと、全部違うんだろうな。

やはりクイック・ジャパンに掲載の『私の守り神』というエッセイの終わりの部分で、こだまさんのテキストではこれまでになかった種類の感動を覚えた。自分と同じ世代の方が、大きな傷や痛みを抱えつつ死地をどうにか脱し、再び自分の足で歩き始めるということ。そればかりでなく、文筆の世界に新たに自分の場所を作ろうとされていること。好きな人の綴る文章が、書店で買える本になる。それは単純にとても嬉しいことだ。勇気をもらった、などとずうずうしいことを言うつもりはない。こだまさんはご自分の力と努力でそこに道をつけたのであり、それは自分とは関係ないことだからだ。

自分の話をすると、5年ほどやった喫茶店が経営不振に陥り(ツイッターばかりやっていたので)今年閉店した。働かないわけにはいかないので、七月の終わりに都内の企業に再就職してみたらまあまあなブラックで、最近は仕事のある日は徹夜か終電がほとんどだ。就職してみて、自分が人の顔と名前を全く覚えられないこと、特に四文字以上の名前が壊滅的に駄目なこと、思っていた以上に仕事が出来ないことなどがよく分かった。

つらいと思った時、何度かこだまさんの文章を読み返した。自分とは関係ないとしても、こんなにがんばっている人がいる。そう思うとやはり励まされた。他人の中にごめんなさいよと割り込んでいって、そこに溶け込み、笑顔で付き合っていく。そういうの自分、苦手なんで…とは言えない。居場所を作るため、生きていくために必死だったし、今もそうだ。

全然関係ない話になるが、フォロワーで最近田舎から上京してきて、都内で進学するためにキャバクラの寮に入って暮らしていた女の子がいた。店では嘘ばっかり喋らなきゃいけなくて、全然お客はつかないし、貧乏だし部屋は狭いし毎日泣いてるしもう嫌で、九州に帰りたくなるけど、帰ったら負けだと思うから帰れない、みたいなよくいる感じの女の子だった。店と寮のある池袋が大嫌いだったけど、東京で初めて出来た同性の友達と朝まで遊んで部屋に帰ってきた時、ああただいま、池袋ただいまとはじめて思った。というツイートを見て、そうか、誰にとってもやっぱり居場所は大事なんだなと思った。彼女はその後キャバクラにさっさと見切りをつけ、今はSMの女王様をやっている。天職だと思う、自分の欲望がここなんだってわかった、と言ってディオールパチスロ猫カフェで豪遊する毎日だ。AVにも出ようとしてるらしい。ちょっと速すぎるんじゃないか。生きるスピードが。

こだまさんがこれからどうなって行くのか、ファンの一人としてすごく楽しみだ。なんか上からですみません。そしてそんなに付き合いが長いわけでもないのにすみません。でも実力を持った人が、その力量を思い切りふるうために、そうした環境を作るために世界に切り込んで行くのを見るのは、なんてわくわくするんだろう。そういう思いを味わわせてもらっています。個人的な願望としては、月刊エグザイル(まだあるのか知らないけど)に呼ばれて本物のエグザイルと対談をして欲しい。あとなし水が買えなかったので、まだ読めていない、そしてこだまさんブレイクのきっかけとなった、当時の全精力を注いで書いたという『夫のちんぽが入らない』の早めの書籍化を望みます。


以上、明日の文フリでたぶんお会いするのでやっべ〜書かなきゃと思って書きました。読んでくれるといいな。