鏡の中のマリオネット

小学5年生くらいのある時期、塾の帰りにコンビニで究極超人あ〜るのコミックスを立ち読みするのが最高に幸せだった。たった一人の、誰にもじゃまされない時間。店内では当時流行っていたBOOWYのMARIONETTEがよく流れてた。

いまの70代くらいの年の人と話していて思うのは、彼らは街や風景、時代の変化の波をすごくダイナミックに感じてきたんだろうな、ということ。ビルが建ち、道路が舗装され、線路が敷かれ、日本全体の風景がものすごい勢いで変わっていく。過ぎ去ってしまった風景は良くも悪くも取り戻しようがなく、そこには強烈なノスタルジーが生まれたことだろう。電車に乗っても飛行機に乗っても行けない、もう記憶の中だけにしかない街や村、時間のふるさととでも呼べるものがあっただろう。

僕が塾帰りのローソンで究極超人あ〜るを読んでいたのはもう30年近く前のことなんだけど、その頃から街の風景というのは実はあまり変わっていないんじゃないかと思う。コンビニの数が増えたり、外国人の姿が多くなったり、車や建物のデザインが多少変わったりはしているかもしれない。でも30年前に当時の大人がそこから30年前の少年時代を想うときのようなギャップはない。風景だけではない、社会全体の変化が緩やかになった30年だと思う。

SFが好きだから、これだと物足りないのである。携帯電話とインターネットが普及したくらいじゃ「未来に来た」って気がしないし、将来もあまり変わり映えがしなかったらどうしよう、という不安がある。

ギブスンの作品や攻殻シリーズで描かれる電脳空間(サイバースペース)や、イーガンの示した人間がソフトウェア化した未来に、自分の寿命はきっと届かないに違いない。そういうせつない思いがあって、届かない場所に思いを馳せてるのだから、これだってノスタルジー(未来への)と呼べるんじゃないかと思ったりする。

のんきにあ〜るを読んでたら、ある日後ろから肩を叩かれた。学校の先生だった。帰ると、母親に叱られた。


鏡の中のマリオネット 気分のままに踊りな
鏡の中のマリオネット 自分の為に踊りな


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