廃屋が好きという話

廃墟というか廃屋が好きで、見かけると即侵入して中から色々と眺めてちょっとした時間を過ごすのが趣味です。

といってもそんな行為はまだ10回もしたことがないと思う。これでは趣味とは呼べないかもしれない。

廃墟というと比較的大きな建造物を想像する。廃業したホテルや病院、ショッピングモールなど。行ったことはないけど町ぜんたいが廃墟な軍艦島なんかは有名ですね。そういうパブリックな空間が朽ちて一種の侘しさに満ちている、というのが廃墟の良さなんだと思うが、僕がわくわくするのはもっとパーソナルな或いは家族的な廃屋です。

これまでに中に入ることのできた廃屋は、大体が昭和20〜30年頃に建ったような木造の家だった。いわゆる文化住宅的な平屋もあれば、つい最近まで核家族が住んでいたような普通の二階建てもあった。

壁に貼られたままのカレンダーや置いていかれたタンス、観光地のお土産、ぬいぐるみ、束になったハンガー、ちぎれたサンダル、湿気で歪んだ窓枠と汚れたガラス、表面の化粧板が剥がれた玄関のドア。何かがあり、何かが抜け落ちたパズルのような空間に、それまでの生活の匂いだけが濃厚に立ち込めている。そういう場所が好きです。

小学2年生の頃に、家族や親戚と行ったダムのほとりの廃屋が最初だったと思う。二階建てで、ダムに面した壁一面が剥がれていて、建築模型のように中が見えていることが面白くて、いとこたちと探検しました。おじさんの一人暮らしだったらしく、洋服やアルバムなどがいくつか残っていた。厚いホコリをかぶった空手の賞状やメダル、道着を着たおじさんの写真など。他の子どもたちはすぐに飽きて外に遊びに行ってしまったけど、僕だけは興奮していつまでもおじさんの遺留品を漁っていた。外にはホンダの小型のバイクがあって、それにまたがって壊れた外壁の向こうの部屋の中を眺めていると、父親が呼びに来て、バーベキューをするから戻って来なさいと言われました。だんだん暗くなっていくダムの湖面と、廃屋の冷えた湿った空気の中で、初めて恍惚という感情を知った気がする。