リトル・ミス・サンシャインの感想


ツイッターでおすすめしてもらった映画の感想を書いていきます。
2回目は『リトル・ミス・サンシャイン』。推薦してくれたのはみんな(@MINNA_TACHI)さん。


アメリカってずいぶん他者に優しくというか、大人になったんだなあと思いました。アメリカのロードムービーというとどうしても『イージー・ライダー』とか『ワイルド・アット・ハート』みたいな、個をクローズアップした、社会との軋轢の中で燃え尽きる生みたいな激しいものを思い出してしまって、単にジャンルが違うんじゃないかと言われればそれまでですが、まず『リトル・ミス・サンシャイン』のような映画が作られて、それがサンダンスを受賞して世界的にヒットしていわばスタンダードとして認められたということが、社会の老いとインディーズの成熟がちょうどいい位置で重なった2000
年代初頭を象徴しているような気がします。

映画に出てくる家族はみなそれぞれが社会からはみ出しているんだけど、そこへの眼差しがあたたかいというか、作中でも「勝ち馬とか負け犬みたいな価値観はもうやめようよ」というメッセージが明確だし、終わり方も明るい。多様性への寛容さと希望が見える。そういう意味ではやっぱりすごくアメリカ的な映画でもあります。たしかに子どものミスコンは醜悪だけど、カリフォルニアのひたすら赤茶けた何にもない風景と重ねあわせて映し出されたその情景は、古き良きダサくグロテスクでもあるアメリカを全体的には「しょうがないなあ」と肯定しているようにも見える。同じムードで撮られたと思われる『バス男』ほどの、半アメリカ的な憎しみや皮肉を感じません。

今はもうちょっとまた時代が進んで、ゆるい諦めのようなものが全体のムードとしてある気がします。『ファイト・クラブ』で提示された「それでいいのか?」という問いかけが効果を失って久しいというか、もう誰も大企業が自分たちの生活に浸透しきってしていることに疑問を持たなくなってきて、映画はシネコンで見るしスタバでお茶することに抵抗はなく、その上でより内面化された問題へと、もしくは全く関係のない(アメコミ映画などに代表される)エンタメのCGだらけの娯楽大作みたいなものになっていく。あとはコスプレの時代物。それが悪いという意味ではなく(映画の第一義は娯楽のためのものだと思っているし、個人的にもアメコミ映画は大好きなので)、現代と社会を映画という手段で問う(イーストウッドみたいな作家と)作品が少なくなっているんじゃないかということで、繰り返しになりますが、『リトル・ミス・サンシャイン』ってちょうどその手前にある作品だったんじゃないかという感想です。

主演の女の子、オリーブを演じた子が素晴らしかったですよね。あんな風に無垢を体現されたら、それは見てるだけで泣いてしまう。お兄ちゃんを演じたポール・ダノという人もすごく良かったです。ポール・ダノの出てる映画観たい。